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共同研究で辞典をつくる?『チベット牧畜文化辞典』完成!?

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本学のアジア?アフリカ言語文化研究所(AA研)では、アジア?アフリカ地域の多様な言語?文化のあり方を研究しています。国内外の研究者(共同研究員)の方々と共に共同研究プロジェクトを立ち上げ、主として、言語学、人類学、歴史学の3分野でアジア?アフリカ研究に取り組んでいます。

このたび、共同研究「チベット牧畜語彙収集プロジェクト」(通称)の4年間の研究成果として、『チベット牧畜文化辞典』のパイロット版が公開されました!

この辞典はどのようにして作られたのでしょうか。プロジェクトリーダーの星泉教授にインタビューしました。

インタビューの前にインタビュイーの星泉教授の紹介:
東京外国語大学アジア?アフリカ言語文化研究所?教授。
専門は、言語学(おもに記述言語学)?チベット語文法研究?辞典編纂など。「言語がいかにして今あるような姿にたどり着いたか」という視点をもって、現代のチベット語と古いチベット語の両方を相手に日々格闘している。チベット文学研究会(SERNYA)のメンバーとしてチベットの現代文学の翻訳と紹介の活動も行なっている。


プロジェクトリーダーの星教授

—— 辞典の完成?公開、おめでとうございます!このプロジェクトをはじめようと思ったきっかけは?

ありがとうございます。はい、黄河や長江といった大河の源流域にあたる草原地帯で長いあいだ牧畜生活を営んできたチベットの牧畜民は今、急激な時代の変化にさらされています。伝統的な牧畜が大河の下流域の水害等の一因となっているとみなされたため、環境保護と称し、牧畜民を草原から立ち退かせ、町へと移住させる政策が10年以上にわたって進められてきました。
現在では、草原で牧畜を続けている牧畜民は激減し、多くの人々が土地や家畜を手放して近隣の町に移住しています。牧畜をやめるということは、牧畜という生業とともに形成されてきた文化的な基盤が大きくゆらぐことを意味します。牧畜民にとってみれば、生きる拠り所としてきた文化を失うに等しい。その状況を見て、今こそ牧畜民の伝統文化を記録すべきだと立ち上がったのが「チベット牧畜語彙収集プロジェクト」です。

—— プロジェクトの主な目的は?

調査?研究を通じて可視化しにくい牧畜民の知識(生活知)の総体を、少しでも目に見える形にするということがわれわれの目標でした。そこで、写真やイラストなどをふんだんに使って、牧畜を営んできた人びとの姿を生き生きと記録する、そんな辞書を作ることがプロジェクトのミッションとなりました。

—— プロジェクトのメンバー構成は?

言語学、文化人類学、宗教人類学、牧野生態学、生態人類学、宗教学、文学、歴史学などのさまざまな分野の研究者が集まる学際的な共同研究です。また日本人とチベット人が協力して調査?研究を行うという国際的な共同研究でもあります。

—— いつから始めたのですか。

2014年4月にAA研の共同利用?共同研究課題(共同研究プロジェクト)の一つとして発足しました。数度にわたる現地調査を積み重ね、3,500項目にのぼる牧畜関連語彙を収集してきました。

—— 調査地はどのようなところ?

調査地はチベットの東北部、アムド地方のメシュル(青海省黄南チベット族自治州ツェコ県北部)という地域です。ここは政府による矢継ぎ早な移住政策が実施された地域で、すでに8割を越える人びとが都市部に移住していますが、まだ家畜とともに草原で暮し続けている人びとがいるところでもあります。
研究チームの一員であるナムタルジャ氏(滋賀県立大学大学院で博士号を取得、現在は青海民族大学講師)がメシュルの出身であり、彼の親戚で、まだ牧畜生活を営んでいる家庭が調査に協力してくれることになったため、この地域で継続して調査を行うことができました。

—— 語彙調査はどのように行われるのですか?

調査開始から3年間は、プロジェクト専用の牧畜語彙調査票に記録していきました。

調査票の一例

共同調査なので、個別ばらばらに調査記録を積み重ねるわけにはいきません。調査年月日、チベット語、日本語、自由記述、タグ、写真や動画記録の有無といった情報を記録できるようにしたA4版一枚の調査票をたくさん印刷して持っていきました(写真参照)。
現地ではメンバーの得意分野を活かして、分担して記入します。一枚の調査票を何人もの人が書きついでいくのが当たり前で、一日の終わりにはみんなで黙々と調査票を書くのが日課でした。調査票には番号をつけ、バックアップ用に記録写真も撮り、大切にファイルして持ち帰るというルーティーンを繰り返し、2,000枚強の調査票を集積しました。

—— 調査した語彙はどのようにまとめていくのですか?

調査票を構想した段階ですでに辞典編纂用のデータベースを構築することを念頭に置いていました。項目に従って調査して、結果をきちんと電子データとして入力していけば、最後に辞典化するのは半ば自動的にできるはずだと考えました。後にそれが思ったほど簡単なことではないことを思い知ったのですが、調査時からデータベース化を前提としていたことは非常に役に立ちました。
調査から帰国したらすぐさま調査票をデータベースに登録し、項目の詳細をテキスト入力していきます。全ての項目がデータベースに入れば、今度はそれを使って誤りや不足項目を探し出し、追加調査、その記録、そして調査写真との照合、項目のカテゴリー分類といった様々な作業を進めていく段階に入ります。4年目はほぼそうした作業に費やしていたので、調査の折には、4年前と同じ質問を繰り返したりして、「またその質問か、成長してないな」と思われていたらしいのですが、そんな声にはめげずにデータベースの更新を続けました。
このデータベースは当初から、研究チームのメンバー全員が編集できる共同編集データベースとして構築したものです。実際に公開が近づいてきた現在は、代表者のみが編集する仕組みに変更しましたが、メンバーはいつでも見ることができ、校正の際にも最新版を検索できるようになっています。

—— 辞典が公開されました。どのようなものか教えてください。

今回、iOS版、オンライン版、PDF版の3形態の辞典を公開しました。実はどれもこの共同編集データベースを元にしており、修正?更新すれば、オンライン版はただちに最新版になる、という仕組みになっています。それぞれデザインはしなければなりませんが、根本のデータが同じものであるというのはストレスが少なくてよかったと思っています。
調査中に撮影した全ての写真のデータベースも作りました。撮影日時、撮影者、タグなどから検索できるようになっています。ここから写真を選んで共同編集データベースに関連付けていきます。写真の元データは大きすぎるので、軽量化して、楽に作業ができるようにしました。3万枚近くもの写真があるので、現在は各写真にタグ付けして、さらに使いやすくしていこうと考えているところです。こちらも研究チームはいつでも参照できるようになっています。

—— アプリもあるなんて、すごいですね!

チームの副代表である別所裕介氏のプロジェクト構想段階での発言でした。
「今、牧畜文化を知らない若い人たちが増えている。彼らがいずれ牧畜を再活性化させる流れになったときに参考になるように、牧畜に関する様々な知恵や技術を、動画や写真を含むマルチメディアで記録に残しておきたい。そしてチベット文字のフォントが標準装備されていて、牧畜民にも普及しているiPhoneで見ることができるようにしたら、若い人たちの関心を惹きつけるはず
いざプロジェクトが始まってみると、基本的な単語を収集するのに精一杯で、技術や知識の詳細を記録するところまでは到達しなかったし、動画をスマートフォンで公開するのは倫理的な問題もあり、うまくいきそうにありませんでした。その一方で、チベット人の映像作家カシャムジャ監督とともに『チベット牧畜民の一日』という映像作品を制作することができたのは大きな出来事でした。これは、2017年にAA研で実施した『チベット牧畜民の仕事展』や、TUFS Cinemaでも上映しました。言葉で語り尽くせないことは映像記録に任せ、それ以外のところを辞書にまとめていこうという方針が確立したのです。
チベットの現地の方からも、「今どきの学生は何をするにもスマホに頼ることが多いので、写真や図版、音声も収録されたこの辞書はすごくいいと思います。」「この辞書に収録されているような牧畜民の日常語彙を残していくことはとても大切なことだと思います。」「この辞書はスマホで手軽に使えますし、複数の言語で利用でき、写真や図版もコンパクトにまとまっています。こんなに充実した内容の電子辞典は今まで見たことがありません。」などの嬉しい感想もいただいています。

—— 公開記念イベントがあると伺いました。

3月27日(火)?28日(水)にリリース記念イベントを実施します。辞典の未来について語り合うイベントですので、ぜひお誘い合わせの上、ご参加ください。

—— ありがとうございました。私もさっそくダウンロードしてみます!

辞典の紹介

iOS版

起動して最初に現れるのは検索画面です。検索窓にチベット語(チベット文字またはラテン文字転写)、日本語、英語、中国語のいずれかを入力すれば、検索したい語を調べることができます。検索結果は、チベット語、音声、日本語訳、英語訳、中国語訳が出ます。項目によっては解説、写真、イラストも用意しています。下のボタンで切り替えると、カテゴリー検索(日本語版)を利用したり、イラストや写真を多用した読み物(日本語版)を読んだりすることもできます。全てオフラインで使用できます。

オンライン版

オンライン版は、インターネットにつながったパソコンやスマートフォン、タブレットで使える電子辞典です。検索窓に入力する検索(チベット語、日本語、英語、中国語)と、分類(カテゴリー)とタグの選択による検索(日本語のみ)、またその組み合わせによる検索ができます。最も新しい辞書データにいち早くアクセスできるという特徴があり、また、写真やイラストはiOS版やPDF版よりも大きく、鮮明に表示されます。

PDF版

PDF版は全ての項目をチベット文字の辞書順に従って並べた文字情報と写真?図版による辞書です。音声を聞くことはできませんが、それ以外の情報はiOS版やオンライン版と同じです。巻頭にはプロジェクトの紹介、調査地の概況を掲載しています。

入手方法

プロジェクトのウェブサイトにアクセスしてください。
http://nomadic.aa-ken.jp/

リリース記念イベント

2018年3月27日(火)?28日(水)にリリース記念イベントを実施します。

3月27日(火)

3月27日の昼の部(15:00-16:30)はお披露目のイベントです。本学アジア?アフリカ言語文化研究所にて、夜の部は曙橋のチベット料理店タシデレにて実施予定です。

昼の部 (15:00-16:30)

@東京外国語大学アジア?アフリカ言語文化研究所(東京都府中市)
https://lingdy.aa-ken.jp/activities/180327-language-documentation

夜の部(19:00-20:30)

@チベット料理店タシデレ(東京都新宿区(曙橋))
https://lingdy.aa-ken.jp/activities/outreach/180327-outreach-others

3月28日(水)13:00-17:00

さまざまなゲストをお迎えして、辞典の未来に向けて語り合うイベントです。
@東京外国語大学アジア?アフリカ言語文化研究所(東京都府中市)
https://lingdy.aa-ken.jp/activities/180328-symposia-others

「チベット牧畜語彙収集プロジェクト」(通称)共同研究員?研究協力者

リーダー 星泉(東京外国語大学AA研) 言語学
副リーダー 別所裕介(駒澤大学) 宗教人類学

メンバー(五十音順):
岩田啓介(日本学術振興会/東京外国語大学AA研) 歴史学
海老原志穂(東京外国語大学AA研) 言語学
小川龍之介(帯広畜産大学) 牧野生態学
ナムタルジャ(青海民族大学民族社会研究所) 文化人類学
平田昌弘(帯広畜産大学) 牧野生態学
山口哲由(京都大学) 生態人類学
津曲真一(東京理科大) 宗教学

※所属は2018年4月時点のものです。

『チベット牧畜文化辞典』(パイロット版)は、東京外国語大学アジア?アフリカ言語文化研究所共同利用?共同研究課題「“人間―家畜―環境をめぐるミクロ連環系の科学”の構築~青海チベットにおける牧畜語彙収集からのアプローチ」および「青海チベット牧畜民の伝統文化とその変容~ドキュメンタリー言語学の手法に基づいて~」、科研費基盤研究(B)「チベット牧畜民の生活知の研究とそれに基づく牧畜マルチメディア辞典の編纂」(課題番号15H03203)、文部科学省特別経費「言語の動態と多様性に関する国際研究ネットワークの新展開」(LingDy2)および、同「多言語?多文化共生に向けた循環型の言語研究体制の構築」(LingDy3)の研究成果の一部です。

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