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最新10件

ナミビアのジェノサイド追悼の日の議会承認と意見の相違

2024/05/29/Wed

ナミビア議会は、来年2025年から毎年5月28日をジェノサイド追悼の日とすることを承認した。議会は法務省に対し、ナミビアにおける祝日法に基づく草案を作成し、法務長官の認定を受け、大統領の審議と署名を受けるよう指示した。 ナミビアにおけるジェノサイドとは、1904年から1908年にかけてドイツ軍がヘレロとナマの人びとを組織的に絶滅させようとしたことを指す。この出来事は20世紀最初のジェノサイドとして知られており、当時ドイツ領だった南西アフリカ、現在のナミビアにおいて起こった。当時のヘレロの約8割(約6万5千人)、ナマの約半数(約1万人)が亡くなったとされる。承認された追悼の日は、1908年5月28日に、植民地期のドイツ軍司令官が、当時の南西アフリカに建設された強制収容所の閉鎖を正式に命じたことにちなむ。 動議を提出していたジェノサイドの被害者子孫の代表(複数の首長らで形成される首長協会)は、5月26日から28日まで首都ウィントフックでジェノサイド追悼行事を開催し、最終日の28日には、国民議会議長のピーター?カチャヴィヴィも参加し、承認された追悼の日を来年2025年から祝日とすることを発言している。 しかし、すべての被害者子孫の代表がこの追悼の日を認めているわけではない。ヘレロ伝統的権威とナマ伝統的指導者協会の一部は、植民地期のドイツ軍司令官がヘレロに対して絶滅命令を下した10月2日、そしてナマに対して同様の命令を下した4月22日を追悼の日とすることを求めている。表面化している意見の相違の背景の一つには、伝統的権威の首長位の継承問題および植民地期に起源をもつ対立関係がある。こうした首長位の動態的な側面を考慮に入れずに、表面化している現状を理解することは難しいだろう。 (宮本佳和)

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ケニアが米国の「主要な非NATO同盟国」に

2024/05/29/Wed

 ケニアのルト大統領は、5月20~25日に米国を訪問した。訪問中に米国議会で演説したほか、バイデン大統領と面談した。サブサハラアフリカ諸国の首脳が米国を公式訪問し、大統領との会談や議会演説を行ったのは、2009年のエレン?ジョンソン=サーリーフ大統領(リベリア)以来のことである。  今回の訪問で注目されたのは、アメリカがケニアを「主要な非NATO同盟国」(Major Non-NATO Allies)に認定したことである。これまで「主要な非NATO同盟国」と認定されたのは、次の18ヵ国である。  アルゼンチン、オーストラリア、バハレーン、ブラジル、コロンビア、エジプト、イスラエル、日本、ヨルダン、クウェート、モロッコ、ニュージーランド、パキスタン、フィリピン、カタール、韓国、タイ、チュニジア  アフリカには3ヵ国あるが、いずれも北アフリカで、サブサハラアフリカでは今回のケニアが初めてである。  ケニアは、国連総会でのロシア非難決議に一貫して賛成し、アメリカの要請に応じてハイチへの警察派遣を表明するなど、親西側の立場を堅持してきた。サブサハラアフリカに対する中国、ロシアの浸透が目立つなかで、アメリカもまた拠点となる国を明確にしたように見える。 (武内進一)

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マリ、ブルキナファソで移行期間の延長

2024/05/28/Tue

 25日、ブルキナファソの軍事政権は、移行期間を2029年まで延長した。軍事政権は25-26日に「国民集会」(assise nationale)を招集し、国民各層から広く参加者を募る体裁を取って、移行期間のあり方等について議論をさせた。25日に結ばれた新たな憲章では、移行期間が2024年7月2日から60ヶ月と定められた。また、次の大統領選挙に、現在の軍事政権トップであるイブラヒム?トラオレ(36歳)が出馬できることを決めた。  この国では2022年1月にダミバ中佐によるクーデタが起こり、同年9月に再度のクーデタでトラオレ大佐が政権を握って今日に至っている。ダミバ中佐が政権を獲得した際に制定した憲章では、移行期間を2024年7月1日までの21ヶ月としていた。今回、その期限が迫るなかで、「国民集会」が開かれ、新たな憲章が定められた。  「国民集会」と名付けられていたものの、市民団体や政党の多くはボイコットしており、軍事政権側がこれを移行期間延長の口実として利用されたことは明らかである。この手法は、隣国マリのやり方をそのまま真似たものだ。  アシミ?ゴイタ大佐をトップとするマリ軍事政権は、5月6日~10日かけて「平和と国民和解のためのマリ人対話」を開催し、政権移行のあり方について議論させた。そしてその勧告として、移行期間の延長と、移行後の選挙へのゴイタの立候補資格を認めたのである。マリの主要な市民団体や政党は、この「対話」をボイコットし、勧告の内容を批判している。  サヘル諸国では、イスラーム急進主義勢力の攻撃が強まるなか、政権が安全保障の危機に対応できないことを非難してクーデタが頻発し、軍事政権が成立した。いまや軍事政権は、イスラーム急進主義勢力対策よりも、自らの政権維持を優先課題としているようだ。 (武内進一)

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コンゴ民主共和国でクーデタ未遂

2024/05/22/Wed

 19日、コンゴ国軍報道官は、クーデタを未然に防いだと発表した。この事件については不明な点が多いが、現在のところ、次の点が明らかになっている。  19日早朝、約40人の部隊が、チセケディ陣営の大物政治家ヴィタル?カメレのキンシャサの邸宅を襲撃し、カメレの護衛兵と銃撃戦になった。その後、この部隊は大統領執務室がある国民宮殿(Palais de la Nation)に侵入し、チセケディ大統領の追放を訴えたが、治安部隊に鎮圧された(20日付ファイナンシャルタイムズ)。  襲撃部隊の首謀者は、クリスチャン?マランガという米国に帰化したコンゴ出身者で、コンゴ人ディアスポラでは知られた存在であったという。襲撃部隊には、アメリカ人2人とイギリス人1人も参加していた。部隊のメンバーは、ザイールの国旗を振り回し、「モブツの子どもたちよ!万歳!」と叫んだ。マランガはその後射殺された(20日付ルモンド)。  キンシャサは速やかに平常に戻ったと報じられ、事件の直接の余波は限定的であるように見える。ただ、この奇妙な事件が、コンゴの政治的空白のなかで起こったことは確認しておくべきであろう。昨年12月の大統領選挙でチセケディが圧勝し、再選を決めた者の、その後今日に至るまで新たな内閣は作られていない。4月1日にトゥルカ(Judith Suminwa Tuluka)元計画相が首相に任命されただけである。  比例代表制を取っているためもあるが、コンゴでは小政党が乱立する傾向があり、多数派形成に時間を要する。それは実効的な政策実施に時間がかかることを意味している。 (武内進一)

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ニジェールのロシア、イランへの接近

2024/05/12/Sun

 昨年7月のクーデタ以来、ニジェールが急速に反西側へと外交スタンスを転換している。昨年10月にフランス、今年3月には米国の駐留軍を撤退させる意向を表明したが、その後、ロシアから少なくとも2回にわたって軍事要員や軍事物資を受け入れた(4月10日、24日付ルモンド)。この際、ワグネルの後継組織である「アフリカ部隊」の軍人数百人がニジェール入りし、ロシアから地対空防衛システムを導入したとみられる。  同じ時期、ニジェール軍事政権は、イランとの関係深化にも動いている。2023年10月?外相がテヘランでイラン外相に面会。1月にはラミヌ?ゼイン首相がライシ大統領と面会した。ゼイン首相は、4月に米軍撤退について確認するためワシントンを訪問する直前、テヘランとモスクワに立ち寄っている。  欧米は、ウランの主要産出国ニジェールがイランに接近することを恐れている。ニジェールのウラン開発は、仏企業のオラノ社(旧アレヴァ社)やカナダ企業GoviEx社が行っており、オラノ社は国際規制を厳密に遵守していると述べている。一方で、ニジェール政府が「イエローケーキ」と呼ばれるウラン加工品300トンをイランと取引する秘密交渉を行っているとの噂も上がっている。  3月に、アフリカ担当国務次官補モリー?フィーを団長とする米国交渉団がニジェールを訪問した際、議論となったのは、ロシアへの接近に加えて、イランとのウラン取引であった。米国側は、これらを行わないよう求めたが、ニジェール側と合意に至らなかった。  イランとニジェールの関係深化にはロシアが関与している。イランがロシアに武器を提供し、その代わりにロシアがイランにニジェールへのアクセスを仲介したと報じられている。  ニジェール側は、イランとのイエローケーキ取引を否定しているが、実態は不明である。これまでもニジェールは、外交上のカードとして、ウランを利用してきた。1974年クーデタ直後のクンチェ政権、2000年代資源高騰期のタンジャ政権などが、ウランを材料にフランス政府に圧力をかけ、取引の条件を改善させたという(5月10日付ルモンド)。  これまでニジェールの歴代政権は、もっぱら、フランスとの関係でウランカードを使ってきた。しかし、現在、グローバルな国際秩序が揺らぎ、ウクライナ、ガザという二つの戦争が進行するなかで、軍事政権がこのウランカードを交渉の材料として使っている。その含意や影響は、はるかに大きくなるだろう。 (武内進一)

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東アフリカで洪水被害相次ぐ

2024/05/03/Fri

 2日、ケニア政府は、3月以来、洪水により累計で188人が死亡したと発表した。ケニアでは最近の豪雨が大きな被害を生んでおり、28日夜にはナイロビ北西約100キロに位置するマイ?マヒウ(Mai Mahiu)でダムが決壊し、死者、行方不明合わせて100人を超える惨事となった。ナイロビでも洪水の被害が深刻になっている(2日付ルモンド)。  ケニアだけでなく、東アフリカ各地で洪水の被害が報道されている。ブルンジでも昨年来の多雨でタンガニーカ湖の水位が上昇するなど、20万人以上が被害を受け、9万人以上が移動を強いられている(4月17日付ルモンド)。その他、タンザニア、ウガンダ、ルワンダについても同様に、豪雨による被害が報道されている。  東アフリカでは昨年も、コンゴ東部、ルワンダ、ソマリアなどで豪雨と洪水が発生した。なかでも世界の耳目を集めたのは、昨年9月11日にリビアの地中海沿岸都市デルナを襲った大洪水で、サイクロンの直撃を受けてダムが決壊し、5000人以上が死亡する大惨事となった。  多雨に備えるインフラが十分でない地域で、自然災害が大きな犠牲を生んでいる。加えて、リビアやソマリアで典型的だが、政治的混乱が被害を拡大させた側面もある。こうした事例は、気候変動対策が開発や政治と不可分であることを示している。 (武内進一)

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海外メディア遮断と国内引き締め―ブルキナファソ、マリ

2024/04/29/Mon

   ブルキナファソ政府は、25日~28日に相次いで、BBC、VOA、ルモンド、TV5、ガーディアン、ドイチェヴェレなど、主要海外メディアの放送禁止とインターネットサイトの閉鎖を発表した。きっかけは、国際NGOのヒューマン?ライツ?ウォッチ(HRW)が25日に発表した報告書であった。  報告書は、ジハディストと激しい攻防が続くマリ国境付近のふたつの村で、国軍が今年2月25日、56人の子供を含む223人の民間人を殺害したとして、ブルキナファソ政府にアフリカ連合や国連とともに虐殺に関する調査を実施するよう求めた。今回、HRWの報告書について報道した海外メディアを対象として、放送禁止措置がとられた。政府は27日、HRWによる国軍への批判を「根拠がない」として全面的に否定した(28日付BBC)。  海外メディアの遮断は、国内の引き締めと連動している。隣国のマリでは、2022年以降、海外メディアが禁止されてきた。もともと軍事政権が約束していた移行期間が3月26日に終了した後、国内の政党や市民団体が早期の選挙実施を求めて声を上げていたが、軍事政権は4月10日、こうした組織による政治活動を一切禁止した。「マリは危機的状況にあり、不毛な政治的議論は不要だ」という理由である(11日付ルモンド)。  両国では、国民の不満をすくい取る形で軍がクーデタを起こし、政権を獲得した。その過程で、反仏感情が動員に利用されてきたのは周知の通りである。政権掌握から時間が経過し、国内統制の強化が目立つようになった。軍事政権の本性が露わになったとも言える。両国とも強力な市民運動の歴史を持った国であり、軍事政権はいつまでも抑圧を継続することはできないだろう。 (武内進一)

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英国で「ルワンダの安全」法成立

2024/04/25/Thu

 22日の真夜中、英国議会で、不法移民をルワンダに送致する法律(「ルワンダの安全」法)が成立した。この法律について、23日付けのファイナンシャルタイムズ(FT)紙は社説で、英国の民主主義にとって有害な先例になると厳しく批判した。  英国による不法移民(アサイラムシーカー)のルワンダ送致という考えは、2年前のジョンソン政権期以来追求されてきたものだ。当初は二国間の協定という形を取ろうとしたが、ヨーロッパ人権裁判所や英国最高裁が違法の判断を下すなか、国内法で規定する形に落ち着いた。  同法では、「ルワンダは安全な国である」と規定され、それに対して法的に異議申し立てをすることが禁じられた。ルワンダはアサイラムシーカーにとって安全であり、裁判所を含めた誰もがルワンダをそのように扱わねばならない。ルワンダが安全でないという議論は禁止された。  昨年11月、英国最高裁は、ルワンダがアサイラムシーカーを本国に送り返す可能性があり、安全な国とは言えないとの判断を示した。今回の法律には、裁判所によるそうした介入を阻止する意図がある。  保守党が優越する議会が、司法の介入を封じ、ルワンダが安全だという「事実」を法によって定めたことになる。FT紙は、「この論理に従えば、議会は黒を白だと、あるいは犬をネコだと法律で決めることができる」と批判している。  この4月、トーゴ議会は、直接選挙による大統領選出方法を廃し、議会が大統領を選出するやり方に改めた。政権与党が支配する議会を使って、フォール?ニャンシンベ現大統領の永続化を図る動きである。英国議会での保守党のやり方と大差ない。 (武内進一)

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ルワンダのジェノサイド記念式典とコンゴ東部情勢

2024/04/10/Wed

4月7日、ルワンダでジェノサイドから30年の記念式典が開催された。首都キガリの式典には、ビル?クリントン元米国大統領やニコラ?サルコジ元フランス大統領が出席した。サルヴァ?キール(南スーダン)、シリル?ラマポサ(南アフリカ)、アンドリー?ラジョエリナ(マダガスカル)、アビィ?アハメド(エチオピア)、モハメド?ウルド?ガズアニ(モーリタニア)などの現職のアフリカ元首や、UNESCOの事務局長、世界ユダヤ人会議(WJC)の代表も参加した。  記念式典では、特に2つの点が注目を集めた。第1に、カガメ大統領が1994年のルワンダ?ジェノサイドに際しての国際社会の失敗を強調したことである。これは例年のことでもあるが、特に今年は自分のイトコが殺害された経緯に触れ、その首謀者が現在もフランスで暮らしていると指摘した。この人物(Callixte Mbarushimana)は元UNDPの職員で、国際刑事裁判所から訴追されたが、証拠不十分で取り下げられた経緯がある。現在フランス検察から訴追されている。  第2に、フランスのマクロン大統領のビデオメッセージである。記念式典直前の4日、マクロンはX(旧ツイッター)に、「フランスは他の国々とともに1994年のジェノサイドを止めることができたかもしれなかったが、その意思がなかった」と投稿した。これは、2021年5月にルワンダを訪問した際よりも踏み込んだ内容で、評価の声がルワンダ側から上がった。しかし、ビデオメッセージでマクロンは、フランスの責任を認めた上で、「2021年の発言に付け加えることは全くない」と強調した。  記念式典を契機に、欧米など国際社会とルワンダとの間の認識のズレが生じているように思える。その背景にはコンゴ東部情勢がある。ルワンダのジェノサイドが人類史に記録されるべき、繰り返してはならない犯罪であることは自明である。一方、記念式典と同じタイミングで、コンゴ東部ではM23の攻勢が激化し、膨大な避難民を生んでいる。国連によれば、この攻勢にルワンダ軍が関与している(8日付ルモンド)。  最近ルワンダは自軍のコンゴでの活動を明示的に否定せず、その一方でFDLR(旧ハビャリマナ政権残党グループ)の存在を強調している。FDLRがいるので、コンゴ東部への軍事的進出はやむを得ないと言わんばかりである。この状況から、ガザに対するイスラエル軍の攻撃を想起するのは、私だけではないだろう。 (武内進一)

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チセケディが「国際社会」を批判

2024/04/01/Mon

 30日付けルモンド紙は、コンゴ民主共和国大統領チセケディへのインタビュー記事を掲載した。チセケディはそこで、国際社会への苛立ちを表明している。M23を支援するルワンダを非難する一方で、「国際社会は共犯者だ」と述べている。  インタビューで、コンゴ軍が「ワザレンドゥ」(愛国者)と呼ばれる親政府民兵組織を利用し、そのなかに子ども兵が含まれていることを問われたチセケディは、概略次のように反論している。 西側中心の眼差しで、アフリカ人を苛立たせるのは止めてください。子ども兵になるような人々も我々と同じ人間で、親を殺されるなど過酷な経験をしているんです。私は最初のうち善隣外交政策をとり、ルワンダと協調していましたが、その間ワザレンドゥたちからは裏切り者だと見なされました。この政策はルワンダのせいで立ちゆかなくなり、私はラジカリズムへと政策を大きく転換したのです。  チセケディの国際社会への不満は、結局のところ、ルワンダへの対応に行き着く。 国際社会はルワンダの共犯者です。カガメは、コンゴの天然資源を略奪し、それらを外国に持ち出して加工したことを認めていました。ルワンダ経由でコンゴ産の鉱物資源を受け取ったことを隠匿した国があるのです。  国際社会はルワンダを非難しているが、それでは不十分か、と問われたチセケディは、次のように答えた。 ロシアにどれだけの数の制裁が科されているか、知っていますか?ルワンダには何一つ制裁が科されていないんです。これはダブルスタンダードと言わざるを得ないでしょう。  さらに、チセケディは、ロシアへの接近をほのめかす。 3月27日にプーチンと電話会談しました。コンゴの法律を守るなら、ロシアと関係を持つことはありえます。ただ、我々はロシアのウクライナ侵攻を非難した数少ないアフリカ諸国のひとつだということを忘れないでください。6月にロシア?アフリカサミットがあれば、自分は行くつもりです。  インタビューの最後で、チセケディは西側のダブルスタンダードを再度批判した。 EUは、モザンビーク北部でジハディスト掃討に参加するルワンダ軍に2000万ユーロ提供しています。さらにEUは、ルワンダと鉱物取引協定を締結するとのことです。ルワンダから輸出される鉱物は、コンゴから来たものです。こうした協定は、コンゴ国民にとって理解できないことなのです。  このインタビューはチセケディの政策変化を理解する上で興味深い。チセケディがカガメと善隣外交政策をとっていた時期、彼の国内政権基盤は弱く、カビラ前大統領が依然として強い影響力を保持していた。チセケディにとっては、国際社会の支援が国内政治におけるレバレッジ(梃子)として非常に重要だった。しかしその後、国内政治においてチセケディはカビラ派を一掃し、自らの権力基盤を強めた。そうした状況下で、対外的に強硬な姿勢を取るようになったのである。 (武内進一)

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